ケイティ

2/18 21:14に永眠しました。

今日が初七日。あっという間の1週間でした。

経緯を話すと長くなるので、
折りたたみます。

続きを読んでくださる方は
下の[...]をクリックしてください。

遺体の写真も載せていますので、見たくない方は
閉じたままでお願いします…。

病発祥は去年の夏から。
本格的に闘病生活になったのは12月に入ってからでした。

別記事でまとめていたのですが、
1月後半からバタバタしていて載せるヒマがなく…
闘病日記はまた別で書かせてください。ごめんなさい。

最後の最後まで頑張ってくれたケイティ。
今回はその最期の1週間のお話をさせてください。

★2/11
2/10に私の祖父が無呼吸状態
(末期がんで余命はいくばくとは言われていました)になったので、
神戸に向かうため、
11日早朝にバードホテルに預ける予約をしていました。

祖父の最期には間に合わず、
2/11の3時過ぎに亡くなってしまい
早朝バタバタと準備をして、
ケイティとガガのケージカバーを取ったところ…

ケイティがかなり嘔吐していました。
ぐったりはしておらず、私に助けを求めるように
ケージから出たがっていました。

ケージから出ると、バタバタと飛び出してしまい、
着地と共に少しふらふらとしていたように思います。
(気持ち的余裕がなく、あまり良く覚えていません…)

通常ならこの状態でバードホテルに預けるなんて
有り得ないんですが…

私は母子家庭で、母も私も一人っ子。
母一人で祖父のお通夜をさせるわけにもいかず、
どうすることもできず、
とにかくバードホテルで預かってもらい、
その足で夫と娘を連れて神戸に行きました。

以前の病院のバードホテルとはまた違ったところで、
看護士の資格も持っていらっしゃる方が運営されているホテル。
急に預けなくてはいけなくなった場合も
できる限り対応してくださるとのことで、今回初めての利用でした。

神戸に着いたと同時にそのバードホテルからの着信。

預けたときは自力で立っていたし、止まり木にも止まれていたけれど、
その後数時間で自力で立てなくなり、
30度以上で保温するも良くならないので、
近くの病院(以下A病院)に連れていくか、
今かかりつけの病院(以下C病院)に
連れていく(その際遠いので夜になってしまう)か、
どうしますか?とのこと。

以前吐いたことはあっても
そんな状態になったことはないので、
軽くパニックになりました。

C病院は休診日。
一応連絡はついたものの、
夜までケイティの状態が持つか分からないし
バードホテルの方で連れて行っていただける病院が
以前お世話になっていた病院なので、そちらにお願いすることに。

祖父のお通夜は12日になり、母と葬儀屋さんと打ち合わせの中、
ケイティの容態がどんどん悪くなっていくという連絡をいただいて
この日は本当に錯乱状態でした。
正直よく覚えていません。

何かあったらすぐに連絡します、と言われ、
いつ電話が鳴るかとビクビクしながら
夜を過ごしたのは覚えています。

夜中に「この状態で朝まで持つことは難しい、
最悪の事態を覚悟してください。」とのメールを見て、
必死で祈りました。
神様、ケイティまで連れていかないで…!

★2/12
その思いが通じたのか、朝まで連絡はなく、
10時過ぎくらいにこちらから連絡をしたところ、
とりあえず最悪の状態は免れたけれど
予断を許さない状態です、と。

とにかく私が帰れる日まで、何とか頑張ってほしいと祈っていました。

祖父のお通夜が終わり、告別式が終わり、
母の希望で14日の夜に東京に帰りました。

★2/14
14日の時点でケイティは奇跡的に持ち直していて、
(強制給餌はしていましたが)危篤状態からは脱していました。

迎えに行くにも以前のように
電車で連れて帰るのは不安なので、
夫と車で迎えに行ける2/17まで入院、という形で
A病院で診てもらっていました。

★2/16
ところが16日の朝、A病院から
「昨夜からあまり良くない状態なので、
一度面会に来てください」との連絡。

恐らくホームシックで自力でご飯を食べず、弱ってきている。
家に帰ればご飯は食べると思いますよ、とのことだったので
夫が無理をしてくれて車で行けたので、
連れて帰ることにしました。

家に帰ると確かに嘘みたいに
ご飯を食べてくれました。

水槽にヒヨコ電球を入れ、保温をしていましたが
私の姿を見るとバタバタと出たそうにするくらいだったので
やっぱりお家に帰りたかったんだね、ごめんね、と言いつつ
その日はリビングのソファに寝ました。

★2/17
かかりつけの先生に診てもらうためにC病院へ。
昨夜は食べてくれたものの、今朝はほとんど食べてくれないので
とにかくどんなものでもいいから口にしてもらうのに
お水も薄く砂糖か蜂蜜を混ぜたものにするとか、
すりごま、離乳食のりんごなども試してください、と。

C病院から帰ってきてからも全く食べてくれず、
ずっとウトウトと目をつぶっているので
もうダメなのかな…頑張ったのにな…と
抱っこして撫でていました。

ご飯を差し出してもお水を差し出しても見向きもせず、
そのうち声をかけても目を開けなくなってしまったので
半泣きになりながらケイティ!ケイティ!と撫でていたら

ぷりっ

…え?

私の胸の上でうんちをして、
少し目を開け、よろよろと歩き出したんです。

ひょっとして食べてくれるかな…?と
保温ケースに戻したら
少しづつだけどついばんでくれて…
うれしかったけれど半ばキョトンとしてしまいました。

その日も朝までは大丈夫かな、と
ソファで仮眠しながら様子を見ていました。
0217
↑ついばんでくれたときの写真です。

★2/18
昨夜ついばんでからはまた何も食べてくれず、
朝また抱っこして撫でていたら

ぷりっ

とうんちをしてくれたので、保温ケースに戻したら
少しついばんでくれました。

7
こんな状態で、ほとんど目を開けてくれなかったんですけどね。

6
夕方、ガガにお見舞いをさせました。
(お互い全然喜んでないところが何とも…)

この後、オエオエと嘔吐。
もう受け付けたくないという感じでした。
自力で立ってはいたけれど、目をつむってウトウトとして…。

夜、また抱っこをして撫でていて、
またうんちをして、食べてくれないかな…
と思いながらも、さすがに覚悟していました。

21時ごろ、私の胸の上でも嘔吐。
ふらふらしながらうんちはしてくれたけれど、
もう保温ケースに戻しても自力で立てそうになかった。

ケイティ大好きだよ、うちに来てくれて本当にありがとう
でもまだ一緒にいたいよ…と声をかけたとき

ウトウトとつむっていた目を

ふっと開けて

バサバサっと飛ぼうとしたので

少し手を離し支えようとしたところ

ファサ…

と眠るように倒れ、
21:14
そのまま私の胸の上で亡くなりました。

最期の最期の最期まで
本当に頑張ってくれて…

ごめんね、っていっぱい言いたいけれど
許してもらいたいわけじゃないから

ありがとう、今まで本当にありがとう、
うちに来てくれてありがとう、
幸せな時間をくれてありがとう、大好き、大好き、

自分に言い聞かせるように一人で泣きました。

亡骸はベランダにプランターを用意して、
そこに埋葬しました。
3
火葬も考えたけれど、ブリーダーさんに連絡したところ
埋葬する人が多いと聞いたので。

もう少し暖かくなったら、お花の種を蒔こうかと思っています。
まともに育てたことがないので、不安だけど。
かわいい花を咲かせてあげたいです。

去年の8月までは消化不良便ながら
こんなにかわいくて元気だったのにな。
2

9月末に入院して、10月も元気だったのにな。
1

祖父とのお別れも、覚悟していたとはいえショックだったのに、
その直後のこの出来事、まだ夢を見ているような感じです。

これを書いている今も、何だかふわふわとして、
悲しいというよりぼんやりしています。

かいつまんで書きましたが、
これ以前の闘病生活もあるので
書ききれないことがたくさんあります。

闘病日記は後日、また改めてアップします。
また間が空いてしまうと思いますが、
ケイティが一生懸命生きた証を残しておきたいので…。

長く、とりとめもない文章を読んでいただいて
ありがとうございました。

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2 Responses to “ケイティ”

  1. トリッコ より:

    ケイティちゃん、旅立ってしまったんですね。。。
    最後の一週間の様子を読むのは辛かったけれど、ケイティちゃんがすごく頑張っていたことわかりました。
    お祖父様の不幸と重なってひろのさんも辛かったですね。
    ケイティちゃん、ひろのさんのことが大好きで、ひろのさんの胸の上で最後のときを迎えたんだ、きっと。
    ちょっと垂れ目の大きなおめめ、可愛い姿をもう見ることができないのは本当に寂しいけど、
    確かに生きていたと私も知っています。ケイティちゃんの思い出と、ガガちゃんの今を一緒に生きていきましょうね。
    ケイティちゃん、安らかにお眠りください。ありがとう。

  2. ひろの より:

    >トリッコさん
    コメントありがとうございます。
    確かに生きていた、本当にその通りです。
    最後まで生きてました。一生懸命生きてました。
    私の胸の上でトクトクと小さく鼓動を打っていたのが
    昨日のことのようです。

    でも、お別れは本当に寂しいけれど、
    感謝の気持ちの方が大きいんです。
    ずっとずっと忘れません。
    永遠に私のかわいい娘です♡

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